母親の仕事
母親の年齢は五十代半ば。
もうそんな歳かと思う。
今や還暦を迎えても働く人も多いが、母親はどうするだろうと最近考える。
女手一つで姉妹二人を育ててくれたが、私がまだ学生時代のときなどはとくに大変だっただろう。
毎日夜中までサービス残業で会社にいる生活で、今思うとブラック会社だった。
姉妹が社会に出てからは、派遣社員として割と責任の軽い仕事に転職した。
そのおかげで、土日にはバスツアーや祖母と美術館に出かけたりと、充実した毎日を送っている。
父親がいる頃のはなしだが、母親は専業主婦の状態が嫌いで、私が幼稚園を卒園するとすぐに働きだした。
家計のことよりも働きに出ることが好きだからだという。
そんな姿を見ているので還暦過ぎても働ける所があれば再就職するのだろう、と軽く考えていたが、早く楽にさせてあげてねと祖母から最近言われた。
でも、どう考えても100歳近くまで元気でいそうな母親はもうちょっと働きたいと考えているんじゃないか。
キツくても働くことが好きだと言うのは、娘に対する強がりなのだろうか。
そう考えると、私ももっともっと頑張って楽にしてあげなくてはいけないと感じる。
結果として、本人がどう生きていきたいのかを尊重することか、親孝行の最もな形だと思う。
親孝行の押し付けはいかがなものかと。
親孝行しろと「したり顔」で言う連中は、はっきり言って偽善者と見なしている。
その言葉を口に出せば、良い事を行っているとしか考えていない薄っぺらな連中とは、交わりたくないのである。
母について書いてある小説
この前、母について書いてある小説を読んだ。
小説というより、自伝に近いものだった。
小説だけでみても、母がテーマのものは数多く存在している。
そして、それはこれからも増え続ける一方だろう。
それはなぜか?もちろん、誰にでも母親が存在するということ。
これに尽きないのだけれども、それ以上に全ての子供(今は大人になっていても。人は永遠に誰かの子供だ)にとって、母の存在というのは海よりも大きなものなのだろう。
初めの小説の話に戻ると、その小説は作者の母親がなくなる場面から始まっていた。
10ページくらいにわたり、なくなった様子が記されていた。
わずか10ページなのに、私は読む事がなかなか出来なかった。そのわずか10ページを読むのに3時間程かかった。
読み始めても、すぐに涙が溢れて辛くなってページを閉じる。
しばらく涙が止まらなくなり、泣き止むまで時間がかかる。
落ち着いたら、また本を開く。
しかし、またすぐに辛くなりページを閉じる。
これを何度も繰り返して、なんとか1冊読み切ることができた。
これほどまでに感情移入をさせ、辛くされる。
母を失うとは、人生が終わるかのような大事態なのだ。
私達はみんな、母からこの世に命をおとされてる。みんなだ。例外はない。
それからは、だれに育てられるか色んなパターンはあれど、大抵が母の母乳を飲み大きくなる。
それと一緒に優しい言葉をかけられ、暖かい目で見つめられ…
私は、抱きかかえられていた日々を覚えてはいないけれど、温かさを知っている。きっと、みんなそうだと思う。
生きていく指針である母という存在。
大切にしていきたいと思う。