筆まめな人
クリスマスやお正月になるといつも葉書やカ-ドが届いていたものだが、最近ではインタ-ネットでの挨拶もちらほら見えてきた。
それもかわいい動画であったり、ユニ-クなまんがであったりするからそれを見た時には思わず笑顔になってしまう。
インタ-ネットを通してであれ葉書や封書であれ、筆まめな人は特にどこに住んでいても友情を長く続けることができる。
もちろん片方だけではなく両者が筆まめであることが求められるが、こうして長く友情が続き、その友達の家を久しぶりに訪ねるときは非常に感動的である。
久しぶりに会った時にはお互いに手紙や葉書で伝えられなかった近況や感情をたくさん抱えていて、ノンストップで一晩中話をしてしまうことさえあるだろう。
私は字が汚いのでなるべくネットでのメ-ルを好んでいるのだが、それでもたまにがんばって葉書や封書も出してみる。
本当に自分に合う友達はなかなかめぐり会えないものなので、いったんそういう人をみつけたなら、どこに住むことになろうとなるべく筆まめであり友情をなんとか保つようがんばってみたい。
ところが、ブログやメールばかりしていると、書くということが億劫で仕方がない。
手書きには味わいがある、なんて言うけれども、それは書家などのごく限られた人のもので、我々が日常で必要な書くという行為には、味わい何て一切求められていないのである。
一番好きなことは書くこと
今何が好きですかってもし訊かれたら、私は何で答えるだろう。
そんな話を昨日していました。
昔はとにかく多くの人から評価されたくて、何でも一番を目指して頑張ってみるのだけど、飽きっぽい性格と中途半端なやる気が邪魔をして、いつもすぐにやめてしまいました。
自分が本当にやりたいことが何なのか、具体的には分かっていなかったのだと思います。
それなのに、ただ漠然と世の中に認められるような人になりたいという子供のような意気込み。
思い出すたびに恥ずかしくなってしまいます。
でも、そんなこんなを経験して今があることだけは間違いありません。
本当は、何でも地に足を付けて一つ一つ丁寧に向き合えば、何だって凄く楽しいですしやりがいがあることも知りました。
そんな今、何が好きかと訊かれたらこうやって文章を書いている時が、一番幸せを感じると答えるような気がします。
それはふとした瞬間のことだったり、ステキな言葉だったり。
過去の思い出や心に残っていることだったり、嬉しかったことだったり。
特に言葉のパワーには、驚かされることばかりです。
時に小さな子供の口から発せられた言葉でさえ、はっとさせらることがあるのです。
そんな小さなことや大きなことを、忘れないように文章に書き留めておけば全てが大切な宝物になるような気がします。
一人で机に向かって自由に何かを書いている時、目の前には特別な何かが降りてくるような気がするのです。
それはきっと、私だけではないのでは?
どんな感情にも失敗にも、ただ微笑みながら聞いてくれる存在がふと現れるような気がするのです。
だからきっと、私は書くことが好きなのでしょうね。