学習と文化
毎年やってくる受験シーズン。
今年もすでに推薦入試は始まっていて、早い人は結果を手にしていることだろう。
社会人になるまでに身に付けておくべきことのひとつが学習と教養だと思うけど、果たして私たちはそれを身に付けて社会へ出てきたのだろうか。
ひところ「バカの壁」なる書籍がブレークしていたが、まさしく現代はやったもの勝ちの知性もモラルもない社会へと突き進んでいるのではないだろうか。
政治もビジネスも教育も地域社会も家庭も、巷には知性や教養のかけらもない話があふれている。
いったい私たちはどこへ向かっていこうとしているのか?
正義感も潔さもない人たちであふれかえり、人の話には耳も貸さず、自分の主張を繰り返す、自己責任だという人は、微塵も責任をとろうとはしない。
一方で、自分で考えることのわずらわしさからその責任と権利を放棄し、大衆迎合とばかりに、人の意見に左右されるひと人。
このままでは、いよいよこの国も終わりかもしれない。
せめて自分の子どもたちには、判断力と生命力を身に付けておかせたい。
日本が破綻するということは考えたくないが、可能性ゼロではない、ということを大前提にした上で、生きる力と知恵を残してやるしかない。
その第一歩は、会社に就職するという行為を当たり前、既定路線などという思考にさせないこと。
雇われの身になると、自分を起きようとする能力、ビジネスを起こす能力が磨かれない。
大震災で立ち上がっているのは自営業の方がほとんどである。
やはりビジネスを通じて、生きる能力が磨かれているからだろう。
祖父の話に驚愕
私の祖父は大正生まれです。
祖父の父は国鉄に勤務し、駅長をしていました。
祖父も同じ国鉄社員の道を歩むように言われていたようです。
祖父が就職先を決断する頃は丁度戦争の真っ只中で、満州国が日本の後押しで建国された時代です。
祖父は親に内緒で満州鉄道の試験を受け合格しました。
他の合格者と一緒に満州に渡り、大連にあるヤマトホテルの経理として勤務したそうです。
満州国の皇帝である溥儀を見た事もあるそうで、写真も持っていたのでこれには驚きました。
日本が東南アジアの国々を植民地化しており、勢いづいていた頃ですから、ヤマトホテルでは毎晩のようにディナーショーや晩餐会が行われていたそうです。
有名な歌手のシャンソンを聴き、有名女優も沢山来ていたそうです。
その後、日本は戦争で全てを失いました。
満州から引き上げる時に、仕方なく子ども達を残して、日本行きの船に乗る人もいたそうです。
祖父は生活が苦しい中、子どもの手だけは離せなかったと私に語ってくれました。
祖父の長女は障害児だったそうです。
日本帰国後に亡くなったそうですが、今でもその時の事をはっきりと覚えているようで、涙ながらに語ってくれました。
こうした体験談を通じて、何を学び取るかが重要ですよね。
単に、「すごかった」「大変だ」というのは、誰にでも持てる感情ですが、本質を読み取ることを忘れてはいけないのです。