厄払いで神様の悪戯?
主人が厄払いに近くの神社にいくというので、子ども達を連れて家族で行くことにしました。
この神社の石段が重要文化財になっているので、一度行ってみたかったのです。
石段はものすごく湾曲していてかなり短く、正直拍子抜けしました。
神社には電話で事前申し込みをしていたので、既に神主さんが待っておられました。
私達家族が一列に正座をして並ぶと、祈祷が始まりました。
祈祷が終わる頃、一瞬あたりは静かになり、空気の糸がピンと張りつめたような感じがしました。
外を見ると銀杏の葉がひらひらと舞い落ちています。
すると次の瞬間「バサっ」と銀杏の葉が一気に落ちてきて、私は思わず声をあげてしまいました。
神風が吹いたかのようでした。
なんだかとてもありがたく感じたのは私だけでしょうか。
主人の厄が去っていったかのようでした。
神主さんが「オオカミサマ…」を幾度となく繰り返していたので、私は主人に「狼がとりついてたの?」と聞くと「大神だよ」とあきれた表情で主人に返されました。
私は苦笑いをしながらその場を後にしましたが、とても不思議な体験をした気がします。
こういう観念的なことに対して、全く関心を示さない人もいるんですよね。
「迷信だ」の一言ですまされると、確かに言い返すことはできません。
厄年の大病などは偶然に過ぎず、40年以上も人間をやっていれば、どこがガタがきて当然だろうという意見です。
確かに、祈祷がどれほどの効果があるのかわかりませんが、気持ち的にヨシと思えたならば、それで良いのではないかと思っています。
言い伝えに裏はあるのか
子供の頃から母に、畳のへりとふすまの敷居を絶対に踏んではいけない、と厳しく言われて育ってきた。
親の頭を踏んでいるのと同じだ、と言われていた。
それと、枕を踏むのも同様だった。
他に注意されたことはほとんど治らなかったが、これらの点と、食事中の肘付き厳禁ということだけは現在に至るまでもしっかり守っている。
昔は、親の頭を踏んでいるのと同じなんていう強い言葉でたしなめられて、ただ単に畳のへりとふすまの敷居だけはとにかく踏んではいけないんだ、と漠然と思っていた。
けれども最近、それにはしっかりと合理的な裏打ちがあったことを知った。
ちなみに枕に関しては、ただ単に頭に接するものだから、ということではないかと思っているが、それは次回検証したい。
とにかく、どちらも原理としては同じことなのであるが、そういうところを踏み続けると、家がゆがむ、と言うことらしい。
畳に関しては、ヘリを踏むと畳がゆがんでずれたりし、ふすまの敷居の部分は部屋の端にあることが多いから、家の基幹の部分と密接に関わっている。
だから、そういうところを踏んでしまうと、ひいては家全体にゆがみが生じるのだと。
それを聞いたとき、ああ成るほど、ただの迷信ではなかったのだ、と目から鱗だった。
それからは、日本に伝わるいろいろな通説についても、きっと裏打ちがある合理的なものなのだ、と考えを改めた。
もっぱら、長年わからないでい続けていることは、「塩を車に積んでおくと交通安全のお守りになる」ということと、「新しい靴は夕方以降おろしてはいけない」ということ。
これについては、全く想像がつかない分、もしかしたら迷信なのかもしれない。