原点は楽しむこと

手先は決して器用な方ではない。
不器用で大雑把な性格だと思う。
しかし、幼い時から続いている趣味がある。編み物だ。

それもずっと継続している趣味ではなく、ある時ふっと思い出して編んで、終わったらまた何年も放置している。
とても趣味と呼んでいいのか分からない程だが、毛糸を触るたびに感じることがある。

手が覚えているのだ。
そのことを嬉しく感じると共に、やはり私の体に染みついている趣味だと実感する。

編み物と言えば冬にするものというイメージがあるかもしれないが、私は一年中、気が向いたときに編んでいる。
冬に備えて大きなものを作る時は、暑い夏から開始することもよくある。

時間をかけて仕上げたということもあり、出来上がった時の感慨はひとしおだ。
いくつ作ってもこの感慨は変わらない。

手先が不器用なために、とても上手にできているとは思えない。
大雑把なので、最初に思い描いていたのとは違うものが出来上がることもある。
けれど、楽しめればいいのではないか。

そう思っているため、自信を持って趣味と言える。
楽しむことが不謹慎だと言われることがあるが、ストイックに並の人間が物事に打ち込めることは、類稀な事なのである。

やり続けることに必要なのは、リラックスの状態と緊張状態を使い分けることにある。
難しい顔をして趣味に打ち込んだところで、誰も構ってはくれないのだ。

寒いときは編み物

寒くて外に出たくないなという時は、編み物をしています。
毎年マフラーを作っているのですが、年々技術が上がってきているのか、模様が複雑になってきました。
売り物みたいだと褒められることもあるんですよ。

元々、編み物を始めたのは高校生の頃でした。
片田舎の高校で、電車通学をしていたのですが、電車が1時間に1本か無くて、乗り損ねるとかなり長い時間待たなければいけませんでした。
そこで、待合室で時間を潰すために編み物を始めたのです。

初めはガーター編みのオーソドックスなマフラーを編みました。
でも、編み目が均等にならなくて、何度も解いたり編んだりでなかなかできあがりませんでした。
その分、完成した時にはとっても嬉しかったですね。
次にゴミ編みのマフラーを作りました。
今度は編むだけでカラフルになる毛糸を使ったので、1作目よりも心なしか完成度が上がりました。
これはお母さんにプレゼントしました。

表目と裏目が理解できると、一気に楽しくなってきます。
すぐにケーブル編みも覚えて、かっこいいマフラーが編めるようになりました。
また、編むスピードも速くなって、編み目も綺麗になりました。
今では、市販のマフラーやセーターの柄を見て、自分でアレンジして編み図を起こせるレベルになりました。
色替えや模様編みも楽しんでいます。
この冬はいろいろ忙しくてまだ何も編んでいません。
細い糸で時間のかかる手の込んだ模様の大作マフラーを編んでみたいものですね

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