「チャリにい」と「マジにい」
いつも夕刊の新聞配達をしてくれているお兄さんを子供達は「チャリにい」と呼んでいます。
チャリに乗ったお兄ちゃんの略だそうです。
チャリにいは、夕方子供達が家の前で遊んでいると、新聞を配りにやってきます。
時々手品をしてくれるので、近所の子ども達からも人気者です。
ある日アウトレットモールに家族で買い物に行くと、いつもの手品コーナーにあのチャリにいがいるのです。
しかもタキシードにシルクハットをかぶり、いかにもインチキマジシャンのごとく手品を披露していました。
子ども達は最初チャリにいだと気づかなかったようですが、あの特徴のある甲高い声でわかったようです。
チャリにいは私達家族に気づいても照れた様子もなく、平然と手品をやってみせてくれました。
仕掛けのある手品用品を販売するためのデモンストレーションなのですが、チャリにいの日頃から子供相手に鍛えたトークがテンポも良く、そのうち人も沢山集まって来ました。
次の日、夕刊を配りにきたチャリにいを見て子供達は駆け寄ってサインをねだりました。
その日からチャリにいではなく、「マジにい」と呼ばれるようになりました。
子どもは自由な発想でニックネームをつけるものですよね。
ところが昨今の学校では、ニックネームはダメだというところさえあるようです。
更には、既に当たり前にはなっていますが、小学生相手でも「○○ちゃん」と先生は言ってはいけないのだそうです。
そこまで子どもに気を配る必要性はあるのかということですよね。
懐かしいあだ名で呼ばれる嬉しさ
懐かしいあだ名で呼ばれる時、心底嬉しくなってしまいます。
その相手が大好きな人だったりすると、最高に幸せな気持ちになれるのです。
大人になったり結婚して子供が生まれたりすると、いつも本音でいることが難しくなるものです。
如何に目立たないようにするか、如何にみんなの気分を損ねないようにするか、いつも緊張と不安の連続です。
どうしてもそりが合わないタイプの方もいらっしゃいますから、そんな方々との付き合いは非常に辛く感じます。
ですから、そんな緊張や気遣いなしで付き合える人との時間は、救いの時間のように感じられます。
まるで、本当の自分に戻れるかのような感覚にさえなるのです。
今は、あだ名で呼ぶ人等いません。
昔はすぐにあだ名が付けられ、その名で呼ばれていました。
今は名字にさんを付けた状態で呼ばれています。
恐らく多くの方が同じではないかと思います。
そう言えば、私はいつからこんなにも人付き合いが苦手になってしまったのでしょう。
昔はすぐに誰とでも打ち解けて、楽しい仲間ができました。
男女を問わず、くだらないことを話したりいつも笑っていたように思います。
何だか、思い出せば思い出すほど切なくなってきます。
どうして年を取ると、付き合いが難しくなってくるのでしょうか。
残念でなりません。
また昔の友人たちと会いたくなりました。
今年も飛行機に乗って、絶対に会いに行こうと思います。
皆の顔が見られることを、今とても楽しみに思っています。
それを目標にして、今日も一日頑張って行きましょう。
小さなことに落ち込んでいられません。
負けずに頑張りましょう。